お笑いについて

  お笑いは昔から好きなのだけど、最近はもうはっきりと、お笑いを見ていて人の才能に眼がいく。そういう見方になってしまう。才能が、個人っていう形で特定されて、それに感銘を受けながら笑って見てる。

 固有名を挙げていくのはちょっと恥ずかしいのだけれど、ハリウッドザコシショウとか特に天才だと思う。大きなところで松本人志、コントだと東京03飯塚悟志、コンビだと最近はさらば青春の光とかカミナリとか、前はオードリーだったりメイプル超合金だったりで、あと芸人ではないが最近藤井健太郎は本当にすごいと思うし、といったところなのだけれど、とにかく個人に感動しながら見てる。その人の人間としての結晶のしかたが好きになると、実際あまり笑ってはいなくても、結構夢中で見てしまう。なんか、笑うだけじゃなくて、感銘こみで、面白いなーという陶酔みたいなものがあって、それと単純にウケることとが両方ある、みたいな面白がり方をしている。

 それと関係があるのかはわからないけれど、腹を抱えて笑うことがめっきりない。笑い続けて、それがあるゾーンみたいなものに入って、そうなると同じ笑いを追撃されるだけでどんどん面白くて、ついには顔はあまり笑えなくなってひたすら腹が痛くなり続けるという、いわゆるツボに入るというやつの大きいのが、もう数年とか、下手したら10年くらいないんじゃないだろうか、ってくらいない。で、ふっとそれを求めてしまう時がある。あるいは、本当はずっとそれを求めているから、小さい笑いでも追求してしまうのかもしれない。あれは本当に奇跡的なものだと思う。

 お笑い芸人のネタの完成度を尊ぶのと同じような感覚で、日常の中の雑談とかに生まれる笑いや面白さが、その生まれてくる過程も含めて、愛おしくてたまらない。笑うと楽しいからとかじゃなくて、笑いっていうのは何か、感覚のねじれとか、ずれとかがないと生まれないもので、そのねじれやずれっていう複雑で変な形が偶然に生まれたり、あるいは人が狙ってそれを作ることに成功したりっていう、そのことがたまらない。で、それの裏返しとして、そういうなんらかの妙みたいなものが感じられないネタ、例えば自分の言葉でいうところのパワー系のネタがあんまり好きじゃない。パワーというか、ある種の強引な感じは、ひねりの上にのるとメチャクチャ面白くなるんだけど、パワーだけ取り出しても面白くない。逆に、メチャクチャパワー系に見えて、そこに確かにひねりが成功してるととても好きになってしまって、その例がハリウッドザコシショウカズレーザーといった感じである。

 笑いは、それがバグみたいなものだから面白い。

 

 

追記