反省文:絵と学生時代と進路について

 大学1年の時、絵画の味方という講義を受けて、美術史学的な方法論に惹かれ、その後美術史コースに進級した。

 大学に入ってアニメーションの制作サークルに入り、アニメ作品のためにもという意味も加わって、絵を描くということについてそれまで以上に考え、また実践していこうとも思っていた。

 アニメ的な絵に準じた落書きは、もちろん美術史が対象とするような西洋絵画とは全く異なる論理を持つものだが、その両者、また映画などの映像媒体も含めて両者に通底する論理を捉え、それによって絵やアニメや映画をよりよく鑑賞し、また創作の礎としようとしていた。

 しかし現実的な行動選択の論理は、そのように統合し包括することができなかったと言える。アニメ作画の実践をするならば、アニメーターとしての技術を学び、修練し、アニメーターという職業を選んで、それに向けた就職活動や創作をしなければならなかった。絵画や視覚芸術の理論を研究するならば、アニメ作画というカテゴリーは括弧に入れ、その分野の基礎的な教養を身につけ、卒業論文を執筆し、大学院への進学も考えて勉強と研究を進めなければならなかった。そのいずれもなし得ていない。また、単にそのような領域に関係のある企業への就職、という選択肢は考えることができなかった。そういった選択肢においては、企業への就職というものがそもそもの積極的な理由であり、絵や視覚文化に関する動機は主眼とはならないと思えたからだ。

 一方で、サークルに入った動機としての映像制作への関心から始まって、物語映像による表現というものにも関心を持つようになった。大学の映画に関する講義や文献は、この関心にとって非常に助けとなった。アニメーション制作サークルという環境もあって、アニメ作品の演出という表現および職業を考えるようになったことは当然だった。しかしここでは、自分の中の絵への関心、視覚文化への関心と、アニメ作品の演出への関心とは、決して必然的な結びつきを持っていたわけではなかったと言える。絵、映像制作、視覚文化論、物語映像、これらの関心が交わる最大公約数的なものとして、ある意味で消極的に浮上してきた選択肢だったのではないだろうか。

 その後、この消極性に中身を意味づけしようと、勉強の食指を伸ばしはした。しかしそれは、もともと持っていた絵や、さらには漫画などへの関心に報いることができなかったという点で、後付けの域を超えなかった。

 実践として絵を描いたり、創作を構想する時には、自分の根源的な関心に立ち返ろうと模索した。しかしそれは必ずしも、その時の自分の関心の状況と、そのまま簡単に結びついてはくれなかったし、結びつけきることもできなかった。目的と手段とが一致していなかった、ということだろうか。