近況

 相変わらずアニメについて考えたり考えなかったりしている。映画のことも考えるのだが、いかんせん消費量が振るわない。

 

 現実というものに狼狽えて言葉を組めば組むほど、その言葉の組み上げが現実というものの姿を建築のように強固に出現させてしまう。かくして、内部から建てていった家が完成してそこから出られなくなってしまうような、また出られたとしてもそれがある種の逃避であるかのような、一個の力の構造が立ち現れてしまう。しかし、それも欺瞞であろう。

 

 人は物語を採択して生きる。脱物語的な視点は、物語の外側に出ることを可能にするが、物語同士が物語的に衝突するその交錯の磁場の力を体験する視点を無化してしまう。 

 ゆえにより強固で重層的な一つの物語を練り上げていくと、それは例の現実というものを否応なく現前させてしまうのだ。

 

 現実を視るというのは、並大抵のことではない。

 それは自らが視るべき現実というものをも、自らの物語が作り上げてしまうものに他ならないからだ。

 ゆえにその意味で、現実は如何様にでも変えられる。変えられるがゆえに、一つの現実を視るに至るのは難しい。

 

 この先に、物語と現実が真の出会いを果たす場所が現れるのだ。